39.1 する?しない?した
さて、斷定の基本は述語(yǔ)の基本形です。狀態(tài)を表す述語(yǔ)の場(chǎng)合から。
あの人は日本人です。
これは私のかばんです。
これはおいしいです。
かぎはこの中にあります。
彼は中國語(yǔ)ができます。
狀態(tài)述語(yǔ)では現在の狀態(tài)について、話(huà)し手がはっきりと言い切っています。
過(guò)去にしても否定文にしても同じです。やはりはっきり言い切っていることに
かわりありません。
これはおいしかったです。
かぎはこの中にありました。
あの人は日本人ではありません。
これはおいしくないです。
彼は中國語(yǔ)はできません。
「はっきりと言い切る」と言っても、くわしく言えば二つに分けられます。
一つは本當のことを知っている場(chǎng)合で、例えば最初の例で言えば、「あの人は
日本人だ」ということを知っている場(chǎng)合です。
もう一つは、確固たる根拠はなく、単に自分の判斷でそう信じて言う場(chǎng)合で
す?!溉毡救摔摔沥い胜ぁ工趣?、「日本人に決まっている」と言うのと同じ
ようなものですが、そこをあえてはっきり言い切ってしまうのです。こちらの
ほうが「斷定」と呼ぶのにぴったりでしょう。
文法的にはこの二つを區別することはできません。
未來(lái)のことについて述べる場(chǎng)合は、どうでしょうか。
明日はいい天気です。
だと、はっきりわからないことを斷定的に言っているのですが、
來(lái)年はうるう年です。
となると、はっきりしていることです。しかし、これは「未來(lái)」のことと言え
るかどうか。ともかく、文法的には違いがありません。
動(dòng)きの動(dòng)詞の場(chǎng)合は、前に「現在形の意味」のところでも述べたように、ま
ず習慣か將來(lái)のことを表します。
私は毎日7時(shí)に起きます。
飛行機は4時(shí)につきます。
現在形のもう一つの用法である「意志」は「斷定」とは違います。自分の意
志をはっきり言い切る、「斷定的に」言う、という點(diǎn)では近いのですが、これ
はやはり「意志」という別のムードとします。
仮に「意志+斷定」とすると、対応する「意志+推量」という形式がないか
らです。
???私は必ず行くだろう。
この「行く」には意志がありません。
「意志」になるのは、主體が話(huà)し手の意志動(dòng)詞の平敘文か、疑問(wèn)文で主體が
二人稱(chēng)の場(chǎng)合です。
私(たち)は買(mǎi)い物に行きます/行きません。
あなた(たち)も行きますか。
ただし、否定疑問(wèn)で主體が聞き手の場(chǎng)合、「勧誘」である可能性が生まれ、
意味があいまいになります。
?。幔ㄋ饯腺I(mǎi)い物に行きます)
あなたも買(mǎi)い物に行きませんか?!。▌嵴T)
?。猓ㄋ饯腺I(mǎi)い物に行きません)
あなたも買(mǎi)い物に行きませんか?!。ǚ穸ㄒ蓡?wèn)?意志)
それぞれの答えは、
?。幔à?、行きましょう。/いえ、今は行きません。
?。猓à?、私も行きません。/いいえ、私は行こうと思います。
ぐらいになります。
過(guò)去形の場(chǎng)合は、すべて斷定になります。意志動(dòng)詞の場(chǎng)合も意志を表すので
はなく、単なる事実の報告になります。
私はこの映畫(huà)を見(jiàn)ました。
あなたも見(jiàn)ましたか。
斷定の気持ちを強く言うには、
彼は 必ず/絶対に/きっと やります。
などの副詞を使います。
上でも少し述べましたが、「斷定」ということばをもう一度考え直してみま
しょう。例えば、ある人を遠くから見(jiàn)て、その人が日本人學(xué)生か留學(xué)生かとい
うことが話(huà)題になり、
あの人は留學(xué)生だろう/らしい/のようだ。
などと言えば、前に述べた「推量」の表現ということになり、
あの人は絶対に日本人だ。
と言うと、この章でいう「斷定」になります。
しかし、これらは、本當はどうなのかを知らない時(shí)の表現です。もし、その
人をよく知っている人がいて、
ああ、あの人は中國の留學(xué)生ですよ。
と言った場(chǎng)合は、ふつうに言う「斷定」とは違うでしょう。単なる事実を述べ
ているだけですから。
しかし、ここではこのようなものも「斷定」の中に含めることにします。
かぎはきっとこの箱の中にあります。
のような、本當かどうかわからないものだけでなく、かぎを手渡しながら、
はい、かぎはここにありますよ。
のようなものも、「はっきり言い切っている」という點(diǎn)で、「斷定」の中にい
れます。用語(yǔ)としては、「確言」とか「明言」などの方がいいかもしれません
が、代表的な例を中心にして「斷定」と言うことにしておきます。
また、強く斷定する気持ちを表す複合述語(yǔ)を使うこともできます。それらを
次に見(jiàn)てみましょう。
39.2 ~にちがい ない/ありません
「ちがいない」は「ちがい」という名詞と、不在を表すイ形容詞「ない」と
が複合したものです。過(guò)去の「違いなかった」は使いますが、否定の「×ちが
いなくない」(または「ちがいある」?)は使いません。丁寧形は「ちがいあ
りません(でした)」です。
前に來(lái)る述語(yǔ)との接続は「~かもしれない」などと同じで、名詞述語(yǔ)とナ形
容詞の現在の「だ」が落ちるほかは、述語(yǔ)の普通形に接続します。
雨が降る/降らない/降った にちがいない
おいしい/おいしくない/おいしかった にちがいない
元気/元気ではない/元気だった にちがいない
日本人/日本人ではない/日本人だった にちがいない
意味は「きっと~である」に近く、「必ず?絶対に」などと共にも使われま
す。斷定というほど強いものではなく、確信があるけれども、まだどこかにそ
うでない可能性を許している、と考え、「確信」と呼んでおくことにします。
そういう點(diǎn)から考えると、先ほどの「する?しない?した」と言い切った方
が強い言い方だということになります。
彼は、持ち物や身ぶりなどから考えて、日本人観光客に違いない。
足跡がある。誰(shuí)かがここを通ったに違いない。
日本経済はこれから回復して行くにちがいない。
アジアは大きく発展するにちがいありません。
話(huà)し手の意志的行動(dòng)には使えません。これは「~だろう」と同じです。
×私は旅行に行くに違いない。
今度の連休に、私は出張に行かされるに違いありません。
過(guò)去の「~にちがいなかった」になるのは、小説などで過(guò)去のことを描寫(xiě)す
る場(chǎng)合で、あまり使われません。
彼は失敗したに違いなかった。だから、我々は家で待っていた。
39.3 ~はず だ/です
形式名詞の「はず」に「だ(です)」がついた形で、推論を元にした確信を
表します。確信と言ってもそれほど強くないのですが、「でしょう」や「よう
だ」よりも強い、ということで「推量」に入れず、ここに置くことにします。
述語(yǔ)の形は「~ようだ」に接続する形と同じです。
│
彼らは 來(lái)る/來(lái)ない/來(lái)た/來(lái)なかった │
こちらの方が 大きい/大きくない/大きかった │はずだ
彼女の方が上手な/上手ではない/上手だった │
あの子は 小學(xué)生の/小學(xué)生ではない/小學(xué)生だった│
│
「はず」の一つの特徴は論理的な推理による結論だということです。
荷物は明日屆くはずです。(昨日出した)
彼にはすぐわかるはずです。(彼は専門(mén)家だ)
この本は面白いはずです。(名作です)
犯人は左利きのはずだ?!。ìF場(chǎng)の狀況から)
次は田中さんのはずです。(プログラムによれば)
その時(shí)、彼は事故現場(chǎng)にいたはずです。(その日の擔當でした)
死んだはずだよ、お富さん、生きていたとは、お釈迦様でも知らぬ
仏のお富さん???
以上の例のように、確信を持つに至るだけの推論があることが多いのです。
「はず」のもう一つの大きな特徴は、事実がそうでないとき、あるいは相手
にそうでないと言われたときにも、「おかしいなあ???」という気持ちで事実や
相手のことば、目の前の証拠に反する結論をなお主張できるという點(diǎn)です。
この前ここに入れたんだから、ここにあるはずだ。あれ、ないぞ。
あるはずなんだが。
「あるはずだ」はまだ事実を知らないで言っています?!袱ⅳ毪悉氦胜螭坤?br>は、ないことを知ってからでも言えます?! ?/span>
え、まだ來(lái)ませんか。おかしいなあ。もう著(zhù)いているはずですが。
おいしくないですか。変だなあ。おいしいはずなんですが。
この點(diǎn)が発展すると、「論理的な推論」と言うより単なる「思いこみ」に近
い場(chǎng)合にも使われます。
ここに置いたはずだが、ないぞ。おかしいなあ。
そのお金は先週返したはずですが。え?返していない?はて、あれ
は夢(mèng)だったか。
私は、そんなに飲まなかったはずですが、後の記憶がありません。
動(dòng)詞の過(guò)去形が使われ、「V-たはずだ」の形です?;馂挠璺坤螛苏Z(yǔ)に、
怖いのは、消したつもりと消えたはず
という文法的観點(diǎn)から見(jiàn)て傑作があります。(「たつもり」は「40.3」で)
[納得のハズダ]
以上の用法とは少し違った、事実の論理的裏付けを納得した時(shí)の「はずだ」
があります。
わからなかったはずだ。これは有名な難問(wèn)なんだって。
なあんだ。君が持っていたのか。ここにないはずだよ。
寒いはずだ。窓が開(kāi)け放したままだ。
「わからなかった?ここにない?寒い」という事実がまずあって、その理由を
発見(jiàn)して納得します?!浮铯堡馈工摔馔赣梅àⅳ辘蓼?。(→「63.~わ
けだ」
この用法と上の「確信」の用法との違いは、文脈から判斷しますが、會(huì )話(huà)で
はイントネーションの違いで區別できます。最後の「~だ/です」が少し高く
なります。
[否定の形]
「~はずだ」の否定の形は二つあります?!浮胜い悉氦馈工韦郅恕浮?br>ずがない」という形があり、こちらのほうが確信の度合いが強くなります。こ
れはすぐ後でとりあげます。
うちの子がそんなことをするはずがない/ありません。
これを「~しないはずだ」というと、ちょっと迫力に欠けます。
「~だ」の否定ですから、「~ではない」となりそうなものですが、
×するはずではない
とは言いません?!?/span>
[過(guò)去]
文末を過(guò)去にすると、事実と反対のことを予測していたことを表します。
うまく行くはずだった。(が、そう行かなかった)
損失はそんなに大きくならないはずだったが、実際はひどいことに
なってしまった。
彼はそのままやり遂げたはずだった。私はそう信じていた。が???
過(guò)去の否定の場(chǎng)合は、なぜか、「はずではなかった」の形も使えます。
彼が擔當するはずではなかったが、同僚が休んだために、彼にその
仕事が回ってきた。
こんなはずじゃなかったんだけどナア。見(jiàn)合いの時(shí)は、おとなしく
見(jiàn)えたんだけどナア。(が、実際はおとなしくない)
39.4 ~はずが ない/ありません
否定的な確信を表します。
あのけちな人がお金を出すはずがない。
この問(wèn)題は君なんかにわかるはずがないよ。
そんなひどいことがあっていいはずがありません。
こんなはずはないんだけどなあ。
締切が十日なはずがない?!?/span>
否定が前に來(lái)て「~ないはずがない」となると、「絶対~だ」の意味になります。
君にできないはずがない。ぜひやってくれないか。
あんなけちが金を受け取らないはずがない?!?br> そういう話(huà)を聞いて、ぼくが見(jiàn)に行かないはずがないでしょう?
?。ㄊ聦g、行った)
「~はずだ」は自分の意志的行動(dòng)には使えませんが、この最後の例はその例
外になっています。その理由をうまく説明できませんが。
???ぼくも行くはずです。
ぼくも行くことになっているはずです。
ぼくが行かないはずがないでしょう??。ń~対行く)
39.5 ~わけが ない/ありません
否定的な確信を表します?!袱悉氦胜ぁ工趣胜杲ひ馕钉扦?。
そんなこと、できるわけがない。
いいわけがない。
彼が見(jiàn)に來(lái)なかったわけがない。(絶対來(lái)た)
暇かって?暇なわけがないでしょう!
あれが女なわけがないよ。絶対男だよ?!?br> 車(chē)を運転できないわけがない。
「~わけだ」は、「63.説明」でとりあげます。
[V-っこない]
否定的な確信を表すものをもう一つついでにあげておきます。くだけた話(huà)し
ことばです。中立形に接続します。
そんなこと、おきっこないよ。
ちょっとぐらい食べちゃったって、どうせわかりっこないから、大
丈夫だよ。
39.6 ~に決まって いる/います
動(dòng)詞が名詞節をとる場(chǎng)合、その動(dòng)詞が本來(lái)とる格助詞の前に「の/こと」が
入れられて、それが名詞節である標識となるのがふつうですが、この文型では
それがありません。
それで、他の名詞節とは別にして、特にここで扱うことにします。意味とし
ては、「決まっている」という動(dòng)詞の意味が「確信」を表すだけで、「ムード」
の文型というほどのものではないのですが。
心配しなくても、明日は晴れるに決まっているよ。大丈夫だよ。
そんなこと、だめに決まってるよ。
あいつの顔を見(jiàn)ればわかるよ。負けたに決まっている。
私が作ったんだ。いいに決まっている。
どうせできないに決まってるさ。
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